あまり広くは知られていないが、世には“異能”というものがあり、
様々なそれを保持する人々がいる。
さして力まずとも途轍もない膂力が出せたり、
思いのままに火を点けることが出来たり、何もないところから水を吹き出させたり、
風を呼んだり光を灯せたりと、そりゃあもう限りなくの幾たりも。
人知を超えた能力ゆえに制御できるに越したことはなく、
上手に活用して人生楽しく過ごせる人もいれば、
逆に振り回されて破滅の一途をたどる場合もあるから、
ある意味“諸刃の剣”のようなもの。
過ぎたるは及ばざるがごとしとはよく言ったものだとは、
敦の職場の先輩にして教育係の太宰さんのお言葉で。
「けれど、敦くんの虎の異能は、制御できるようになってからこっち
なかなか役立つことばかりらしいじゃないか。」
そもそもは人食い虎の出没という世間様の騒ぎが発端。
それに巻き込まれた形で孤児院を追い出され、
路頭に迷っていた少年だった中島敦だったが、
実はその虎こそ自分の異能。
月下に舞い降りる巨大凶暴な白虎となり、
自覚のないまま夜な夜な暴れ回っていたらしく。
やや荒療治ながら、そんな自分だったと気づかせてくれて、
そのまま探偵社という居場所もくれたのがこの太宰さん。
お顔にかかってミステリアスな影を落とす長めのくせっ毛に、
それでもその蠱惑を覆い隠せてはない、
愁いを含んだしっとりとした美貌と均整の取れた長身、
すらりと引き締まり、キレよく動く長い脚という、
それはもうもう目立ちまくりな麗しの風貌には、
通りすがりの主に女性がはっと目を留め、
通り過ぎてからもその視線を剥がせずに視線で後を追い、
連れがいたなら顔を見合わせ “きゃあ”と声なき声を上げてはしゃぎだすのが常のパターン。
銀幕のスタアででもあるかのような反応をされること、当人も多少は気づいておいでだが、
キリがないのでいちいち愛想を振りまくでなく、
国鉄の特急との乗り換え駅にほど近い、とある繁華街の大路を
依頼のあった調査の一環、情報提供者の待つ指定場所まで
連れの少年と共に、四方山話をしつつ ややのんびりと歩んでおいで。
「人虎という姿へ変化(へんげ)しさえすれば、
大太刀で斬りつけても毛皮が弾いて通さぬし、
狙撃にあっても弾丸を弾き返せるというじゃないか。」
おまけに運動能力も格段に上がるので、
人並み外れた速さで駆け回ったり、中空高く飛び上がったりすることも可能。
目も鼻も利くようになるその上、自己再生能力も降りて来て、
串刺しレベルの大怪我もその場で回復できてしまうというから、
「…芥川くんの羅生門が利かない異能者その2だね。」
「そんなおっかない顔しないでくださいよ。」
そんな誉れは自分だけでいいと言いたいか、
それとも、可愛い顔して私の愛しい青年を脅かす存在とは片腹痛いとでも言いたいか。
どっちにしたって勝手な買いかぶり、もとえ誹謗だと、
冗談半分 斜に構えた太宰に対し、しょっぱそうな顔をする敦であり。
最近とみに仲良くなった元宿敵の黒の青年は、だがだが、
その居場所もまた、彼ら武装探偵社とは信奉する魂が微妙に異なる犯罪組織であったがため、
邂逅当初のしばらくほどは、血で血を洗うような殺伐とした関係にあり。
特に当初は“人虎捕獲”という指令を受けていた漆黒の覇者だったその上、
彼の師匠でもあった太宰が今の部下である敦を挑発半分持ち上げたりしたこともあり、
虎の子を目の敵にし、顔を合わせりゃあ洩れなく殺気立っていたものだった。
最近の急な状況の変化により個人的な仲たがいは解消され、
死線を渡り合った同士、反発が逆に互いを認め合うことにつながったか、
人間関係のもつれがほどけて以降、妙に親しい交流を持つようにもなっており。
公には相変わらず、犯罪組織の狗として 黙々と、
離反者への制裁だの対抗組織との抗争だの、血なまぐさい日々を送ってもいるらしいものの。
それでも…と持ってくのはそれこそどこかで矛盾しているかもしれないが、
人性は真っ直ぐだし義侠心も厚く、
礼儀正しくてちょっぴり世間知らずで、天然さんだと判って来たのが何とも可愛い
“…なんて、この子からさえ思われてちゃ世話はないなぁ。”
くすくすとやっとのこと吹き出して笑った太宰なのへ、
あ・やっぱり冗談だったのですね、
もうもういじめないでくださいよぉと敦の方でも頬を膨らませる。
「第一、意識して異能を発動してなきゃ、どれも意味ないんですから。」
「そうだったね、開放型じゃあなかったか。」
いつだってその性質を発揮しているわけではないので、不意打ちでの怪我は当たり前に負う。
今日も昼休みにリンゴの皮むきに挑戦したものの、結果は惨憺たるもので、
まだまだ細くて可憐な趣の強い指先が切り傷だらけになっており。
「大体なんでまた急にリンゴの皮むきなんて。」
おすそわけで貰った丸々1個のリンゴ。
男の子なんだもの、そのまま齧っても良かっただろうに、
果物ナイフを給湯室から借り出して、
居合わせたナオミちゃんや事務のお姉さま方をハラハラさせつつ、
でこぼこの逸物を削りだすのに数十分もかかっていた彼であり。
随分な戦果となった絆創膏だらけの手を、ちょっとお貸しと手に取った太宰。
随分と痛々しい様相に、
与謝野先生にはくれぐれも知られないようにねと眉をひそめてから、
「今どきは“ピューラー”ってものがあるじゃないか。」
「…そうですけど。」
あれかい、もしかして中也のナイフ捌きに憧れてでもいるのかい?
あれは器用を越えてもはや変人の域だから真似しない方がいいよ、なんて。
敦にはそれ以上はないよく出来た想い人を捕まえて、相変わらずな憎まれを言う先輩さん。
せっかくの美人が台無しになるほどの憎々しげ、下唇を突き出してのお言いようには、
敦としても乾いた苦笑で返すしかなかったり。
「だってカッコよかったんですよお。」
長い睫毛の影が頬の縁へ淡くにじむのが何とも麗しかった、その時のお顔を思い出す。
伏し目がちになり、リンゴをこう、するするって半分ほど剥いてから、
出て来た白いところをサクサクって、芯を避けて縦横って切り取って、
ほれってナイフの腹に載せて差し出してくれるまで、2分かかってたかどうか。
見えないリンゴとナイフを胸の前あたりで構える真似をし、
でもでもすぐさまその両手をぱちんと合わせ、口許の先へ持ち上げふふーと笑う。
弧にたわんだ目許といい口許といい、幸せを頬張った淡雪みたいな白さの頬といい、
何とも愛らしい仕草と笑顔をご披露くださり。
周囲から太宰へと向けられるのが憧れの陶酔という眼差しならば、
こちらの少年へとやはりやはり少なからず向けられているのは、
やぁん食べちゃいたい…という甘酸っぱい笑みばかり。
なんだかんだ言って、
繁華街を貫く大路の広い舗道をゆく女性らを
片やは無意識のうちとはいえ 二人がかりで虜にしかかっていた彼らであり。
はしゃぐように後ろを向いて、やや後から歩む太宰を振り返ったそんな敦の視野の中、
“………え?”
それはある意味で一種の既視感。
風を切って此方へ真っ直ぐに猛烈な速度で突っ込んでくる、真っ黒な弾丸のようなもの。
赤い光を帯電させた何か獣のような形が、鋭い切っ先に変化しているそれは、
今さっき話題にしたばかりの黒獣の異能に他ならず。
活動範囲は本人がお元気ならどこまでもという感のある自在さで、
なので操者の姿は見つからぬまま、
かつてよく我が身へ突き刺さったそれが久方ぶりに襲い掛かって来たのへ、
射すくめられたように身動きさえ出来ぬまま、
ただただ標的となっているばかりの虎の少年だった、
のだけれども。
今回の黒獣の目指す標的は、やはりやはり虎の子ではなかったようで。
恐らくは “其奴”が躍り出してくる速度や何やを計算した上で
先んじて飛んできた切っ先さん。
敦を庇ってか、彼の周囲を一巻きほどぐるんと巡り、回り込む格好で待ち受け。
そこへ其奴の精いっぱいな駆け足で突っ込んできた何者かだったのを、
真っ向から迎え撃ってのこと、胸元へぶっさり突き刺さってそのまま相手を持ち上げ、
ではさらばと元来た方へ、動画映像の巻き戻しさながら疾風のごとくに去ってゆく。
「……えっとぉ。」
刻にして数分もあったかどうか。
一体何が起きたやら すらすらさらさらと説明するのは難しいけど、
途轍もない速さのかまいたちが駆け抜けてったような、
尋常ではない物騒なことが起きてはなかったかと。
下手に注目が集まっていたイケメン二人だったのが徒なしてか、
結構多数の人々が視野の中に入れた恰好となった奇妙な現象。
え?え?何なに?と今度は別なベクトルでの注目が集まりかけており。
「……敦くん。」
「…はい。」
「とりあえず、追ってみようか。」
「はい。」
知らない存在ではなかったのだ、知らない振りは難しい。
人ひとりが掻っ攫われたこと、其奴が敦へ突っ込んで来たことだけは目撃できたのだし、
せめて何があったのか、背景くらいは訊いとかにゃあと。
本来の依頼を放り出し、不思議な存在が疾風のごとくに戻っていった方へ、
勢いよく駆け出した探偵社の二人であった。
◇◇
ここ最近、任務以外の平生の様子は
表情も雰囲気も随分と穏やかなそれへ落ち着きつつあった彼だというに。
時折、何故だか中原幹部が隠し持つのと同じ写真、
とある少年の甘い笑顔を移動中の車中などでそっと見やって、
やんわりと和んだ眼をすることもあったというに。
「〜〜〜〜っ 」
今の彼はといえば、それはそれは怒り心頭、
その輪郭から吹き出す負のオーラが黒い陽炎となって轟々と立ち昇り。
このままここで羅生門・彼岸桜の餌食にしてやろうかといわんばかりの
殺気まみれの冷ややかなお顔になっている彼こそは、
ヨコハマの裏社会を牛耳るポートマフィアの
首領直属の遊撃隊を預かる若き隊長、芥川龍之介という青年で。
もしも勇気を奮ってすぐ傍まで寄ってみたれば、
貴様、何ということをしようとしたのだ、
僕のおとうと弟子へ危害を加えようとは、何と傲慢な身の程知らずが。
しかも一般市民だという情けないほど弱々しい殺気でもって
何の警戒もないところへ背後から忍び寄るとは言語道断。
そんな無体が許されていいと思っているのか、
天が許しても、師の太宰さんが許されても、この僕が看過はしない、
貴様を地獄より恐ろしいところへ封じ込め、じくじくと八つ裂きにしてやろうぞ…と
それはそれは恐ろしい文言をお念仏のように延々と呟いているのが聴けただろう。
腹の底からの怒りを隠しもしないで そりゃあ恐ろしい顔つきと化している本日の相棒へ、
「どういう料簡か言質を取って軍警につき出すんだから、勢い余って殺すなよ?」
まあ落ち着けと言わんばかりの声を掛けるのが、
そちらもポートマフィアの顔たる御仁。
20代そこそこという若さで五大幹部に数えられる、
実力・人望共に厚い、中原中也という男性で。
実を云やあ、芥川以上に呪いの文言を唱えたいくらい、
あの愛らしい虎の子へ何すんだ貴様と怒髪天だった彼でもあったが、
先に相方に暴発されてはフォローに回るしかなかったりし。
あっけらかんと晴れ渡った埠頭の潮風に吹かれて、
憎たらしい獲物、どうしてくれようかと文字通り吊し上げておれば。
そこへと届いたのが、
「あ、中也さん。」
宙を翔ってきた異能の黒い獣により、途轍もない勢いで攫われてしまった怪しい誰かさんは、
敦の自慢の動体視力にて、何やら鈍く光る刃物を握っていたことは確認済みで。
となると通り魔の類ということになる。
どうやら敦の危機を庇われたらしいが、
放っても置けぬと追ってきた探偵社のでこぼこコンビが、
繁華街からやや離れた埠頭沿い、
倉庫街の屋根の上でポートマフィアの顔見知りと共にいるのを見つけ、
やっぱりかと肩で息をしつつ立ち止まったところ。
「……。」
憎っくき襲撃者の動きを前もって把握していたとはいえ、
其奴の動きに先んじて待ち構えるよに翔ってきた異能の動きは何とも鮮やかだったし。
肩口辺りに黒獣の槍を突き通し、
結構な遠隔操作だっただろうに此処へまで引き寄せるとは、
相変わらず大した攻勢の持ち主で。
そんな漆黒の覇者様、眼下に駆け付けた探偵社の二人を見やると、
異能の操作の都合で双手は外套のポケットに突っこんだままながら、
一般家屋よりも高い屋根からひょいと軽やかに飛び降りて来。
「あ、おい、芥川。」
呼び止めた中原の声も耳に入らぬ様子で、しかも
自分の身の延長として把握していたはずだろに、
黒獣の先に引っ掛かってた襲撃者をぞんざいにぐしゃあと地べたへ叩きつけると。
そんなものは捨ておいて、つかつかつかと小気味のいい足取りで二人へ歩み寄る。
「やあ、奇遇だね。」
これは思わぬところで会えたねぇとにこやかに愛想を見せた師匠もスルーし、
速足で彼が向かったのは、
やっと何とか上がっていた呼吸が整いだしたおとうと弟子の少年のところ。
「……。」
「え?」
すぐ真ん前という超至近まで歩み寄ると、細っこい両肩それぞれへ自身の手を伏せ置き、
その手を二の腕へまですべり下ろし、間近になってた虎くんのお顔をじいっとのぞき込む。
それから手を持ち上げると頬を包み込み、次には髪を梳いて頭を撫で繰り、
「???」
キョトンとしている敦の頭を懐へ掻い込み、薄い背中をポンポンと叩いてやって、
それで一応の確認が済んだらしく。
はぁあと深い吐息をついた彼なのへ、やれやれと苦笑が絶えないお兄さん二人。
「…ざまぁないな、太宰。」
「なに、兄弟想いのいい子じゃあないか。」
そういや妹がいるのだ、お兄ちゃん属性はもともと持ってた彼だしねと。
会釈に上げたままの手を下ろせない姿では負け惜しみとしか聞こえぬお言いよう、
双黒としての相棒である中也へ投げてから、
「…で? 一体何がどうした騒ぎだったのかな?」
◇◇
このような開けた場所で、しかも微妙に立場が異なる顔ぶれが額寄せ合っての意見交換というのも、
事情を上っ面しか知らぬお人には誤解を招きかねないだろうということで。
ポートマフィア名義の空き倉庫へ場所を移し、
そこで初めて事の次第を説いて聞かされた、そちらこそコトの当事者のお二人。
曰く、
異能というのは、冗談抜きにモノによっては扱いが微妙で。
生活やビジネスに生かせる“知恵”なり“順応”なりが伴われていないと、
役に立たないどころか、物によっちゃあ厄介な代物でしかなかったりしかねない。
「こたびの異能者の場合、
ああ、敦へ実際に飛び掛かったこやつじゃあなくて。」
簡単な応急措置をした上で縛り上げられた通り魔は、
もはや意識もないまま壁際へと転がしてあり。
とはいえ、其奴は単なるおまけの存在なのだとかで。
主犯となった輩、中原たちが追っていた人物は、
人の思うところを嗅ぎ取れるという実に微妙な異能を持っており。
しかもそれを他の人にほらと、
目をつむらせることで夢みたいに脳内で見せる聞かせることが出来る。
なので、自分には専門外なことでも、
情報としてすっぱ抜いて売ることが出来ると思ったのも束の間、
ただのゴシップならともかく、企業情報とか、開発資料なんかはさ、
正式な雛形の書面だったり
最低でもフラッシュメモリに封入されたデータでなきゃ意味がない。
ペーパーレスの時代になりつつあっても、
その概念なり思考なりがせめてプリントアウトできる代物とか、
誰のいつのどのそれか、確たる添え書き付きでなけりゃあ意味がないと来ているから、
本当に頭を覗いて、相手へもそれをそのまま見せたのに、
そんなの幻覚だろうと言われりゃおしまい、
商売のネタには到底できない。
工夫次第で何とかなったろうに、そこまで考える頭もない…というか、
そんな風にあしらわれて手柄だけもぎ取られたケースでもあったのか、
自棄になって、自分の異能より曖昧なネット上のデータ、
引っ掻き回すなんて愚かなことを始めた。
組合(ギルド)の企みなんてのは、本来そんな場所には広められちゃあいなかった、
本物の裏社会という限られた範囲でのみ取りざたされてた情報だったのに、
それを器用に盗み出して、割と一般でも覗ける裏サイトなんてのに掲げ始めた。
その中の、敦への…人虎への七十億の懸賞金のネタが、
今回この馬鹿者を動かしてしまったらしく。
「他にもいろいろ、幻の未確認生物が実在しただの、
ややこしいネタに紛れて、伝説の異能力者の亡命先とか、
政府筋のマザーコンピュータへのスペシャルコードだの、
あぶねぇネタが満載だったらしくてな。」
「…僕の身の上って、○○湖の怪獣とレベル一緒なんですか?」
何だか腑に落ちないというか、預かり知らぬところでそんな扱いされてたなんてと、
むむうとむくれた虎の子さんを、
「……。」
「あ、えと…うん。////////」
いい子いい子と黒外套の君が慣れぬ手つきで撫でて宥める様子も微笑ましい。
とりあえず、この件は彼らが収拾を付けるようにと運んでいる事案なので、
用心こそすれ、探偵社サイドのこちらが一枚噛むわけにもいかず。
微妙に対象者なので解決までは落ち着いての逢瀬もダメかと、
細い肩を落とした敦へ、
「早く片付けて連絡すっから。」
「はい。」
少年の大好きな青玻璃の双眸で覗き込まれてはもういけない。
いい子のお返事を返した虎の子くんだった。
そんなこんなで、
今回はお兄さん弟子のお怒り炸裂の巻だったらしく。
敦くんたらセコムが増えたねとは、
新たに加わった守り隊さんをこそお守りしたいお兄さんの言だった。
〜Fine〜 17.05.16.
*今時分にリンゴ?とか言わないで。
きっと輸入ものとか依頼人の方がお礼にって沢山くれたんですよ、うん。

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